王立科学博物館 第一展示場 【月とその彼方】




数年前の食玩ブームの頃はガンプラとTVゲームでお小遣いが精一杯で
食玩まで手が出なかったのですが、宇宙大好きっ子としてはこれに惹かれるものがありまして。
嬉しいやら悲しいやら、投売りされていたので今さらながらコンプしてみました。
まぁどっちかと言うと私は宇宙船より、かに星雲とか球状星団とかブラックマターとかが好物なんですけども。

ちなみにこれの魅力の半分は無駄に(褒め言葉)凝ってる付属のブックレットにあると思います。
オタキングこと岡田斗司夫が企画原案ですからね。ですが上記の通りいまだに投げ売られているため、
第三弾はサンプルが公開されながらも発売中止となってしまったみたいです。
最近熱を失っている宇宙開発と同じような顛末になってしまったのは寂しいですね…


 


スプートニク・ショック
地球儀&スプートニク衛星

1957年10月4日、ソ連が初の人工衛星、
スプートニク1号の打ち上げに成功。
アメリカ全土に衝撃が走ります。
世界最高の科学技術はアメリカにありという神話の崩壊、
衛星軌道上から本土に直接ミサイル攻撃されるのではという恐怖。
焦ったアメリカはヴァンガードロケットを打ち上げるものの、発射数秒後に爆発。
屈辱感と敗北感にまみれることになるのですが、それがアポロ計画の原動力にもなっていくのです。





スプートニク1号
実際の大きさは、直径58cm。
とても小さいんです。


 


地球儀
ガラス製で普通にきれいですが、よく見ると表面は傷だらけ。
北海道がないのは仕様?





実際はこの視点だと地球は眼下に広がっていなければいけませんが、そこは浪漫。


 


月世界
月球儀&レンジャー7号

世界初の人工衛星はおろか、世界初の有人飛行までソ連に取られてしまったアメリカ。
せめて月探査には遅れを取るまいとパイオニア計画を発動させるものの、またも失敗続き。
対してソ連のルナ計画は月面の軟着陸にまで成功します。
アメリカは計画を変更し、レンジャー、ルナオービター、サーベイヤーの3つの計画を始動。
そのうちのレンジャー計画では、レンジャー7号でついに月面の接写に成功することとなります。


 


レンジャー7号
月面に人類を送るアポロ計画の下準備、
月面の写真を撮影するレンジャー計画、
月の地図を作成するルナオービター計画、
月面への軟着陸技術を開発するサーベイヤー計画、
この3つのうち最も早くから進められていた計画の産物です。
常に地球に背を向けている月の裏側は一体どうなっているのか、
月面に生命体は存在するのか、月の土壌の組成は何なのか、etc,etc...
最も近くにあるのに何もわかっていない天体、月を調べるために飛び立つのです。


 


月球儀
月面の模様がはげてたり、ガラス球に大きな傷が目立ったりでさらに微妙…





それとなく雰囲気は出てるかと。


 


この10年以内に
ジェミニ宇宙船&アジェナ標的衛星

「10年以内に人間を月に着陸させ、無事地球に帰還させる」
このケネディ大統領の演説により、月軌道周回が目標だった
アポロ計画はその内容の変更を余儀なくされます。
ジェミニ計画は、ランデヴーとドッキングの技術、
宇宙飛行士の宇宙での二週間以上の長期滞在、
大気圏突入及び予定通りの地点への着水の実用化を目標としていました。


 


右がジェミニ宇宙船、左がアジェナ標的衛星。
この計画に尽力したヴァージル・アイヴァン・"ガス"・グリソムは優秀な宇宙飛行士であり、
初の有人による月面着陸のメンバーにも彼を、と期待されていましたが、
アポロ1号の船長として船内で訓練中、事故により命を落としてしまいます。


 


赤いロボット
無人月探査機・ルノホート1号

最大の目標であった人類初の月面着陸では
アメリカに先を越されたソ連ですが、
無人月面車の運用はアメリカより先に成功しています。





38万km離れた地上から遠隔操作できる無人探査機。
世界はその技術力の高さに驚嘆することとなります。


 


動力は太陽電池。
なので昼間しか活動できませんが、
月は昼と夜がそれぞれ14日間続くので…





当時の開発者に見せると怒られるかも…


 


ロケットの夏
離床するサターンX型ロケット

アポロ計画の要。
総重量の93%が推進剤で占められ、
第1段ロケットの推進力は1億6千万馬力に達し、
今でも人類が開発した最も高出力なエンジンの座を守っています。


 


発射から13秒後、ロケットが発射塔をクリアした瞬間。
この瞬間、指揮系統はケネディ宇宙センターからヒューストンへ移ります。
「こちらヒューストン、了解」がその合図。


 


 


ロケットやスペースシャトルの打ち上げの瞬間はいつ見てもわくわく。


 


人類、月に立つ
月面に立つ宇宙飛行士

1969年7月21日、ついに人類が地球以外の天体の地面を踏みしめることとなります。
「この一歩は人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」
知らない人はいないくらい有名な、ニール・アームストロング船長の言葉ですね。


 


アームストロング船長です。
背中が黒いのは汚れているわけではなく、
当時の映像の日の当たる部分と影の部分のコントラストを再現したもの。
凝ってますね。





太陽光線から目を守るためのバイザーをしているので、顔は見えません。


 


何気に耐熱フィルムの塗装がリアル。
宇宙飛行士の左足をはめる部分には、
月の表面にも足跡がついています。
芸が細かい。





少し下から見るといい感じ。
もうひとつ有名な
「ヒューストン、こちら静かの海基地。『鷲』は舞い降りた」
を再現したものがモノマガジンの付録であるらしい。





ザ・ライト・スタッフ
月軌道を脱するアポロ13号

1970年4月11日“13”時“13”分、アポロ“13”号は打ち上げられました。
そして打ち上げから55時間53分後、酸素タンクが爆発。
乗組員の生還は絶望的と思われましたが、彼らは無事帰還します。
そう、彼らは奇跡を起こしてみせたのです。
トム・ハンクス主演で映画化もされましたね。


 


すでに月に向かっていたアポロ13号は、
月の引力を利用して月面を半周。
地球の方を向いた瞬間に月着陸船のエンジンを点火させました。
その際には最大で月面に254.3kmまで接近。
目の前に月面があるのに降りられない悔しさからか、
乗組員たちは危機的状況にも関わらず、月面の写真を窓から撮影し続けたそうです。


 


酸素タンクの爆発により破損した機械船。
重量バランスが狂うのを防ごうと、地球への再突入直前まで切り離さなかったため、
そのとき初めて乗組員は、宇宙船に何が起こったのかを知ったのです。





後に「輝かしい失敗」と言われるようになるこの事故。
アポロ11号の月面着陸よりも、アポロ13号の無事帰還の方が
アメリカの科学技術の水準の高さと、宇宙飛行士の卓越した技術の高さの証明になるとも言われています。
興味のある方は
「アポロ13」をぜひ。





サイエンス・フィクション
火星探査機・バイキング1号

火星に生物は存在するのか。
火星への探査機の着陸自体はソ連がすでに
成功させていましたが、どれも着陸直後に通信途絶。
着陸した後も火星のデータを地球に送り続けたのは
アメリカのバイキング1号が初めてになります。





アメリカ建国200周年の1976年7月4日に着陸が予定されていましたが、
今まで平地と思われていた着陸予定地は、高解像度画像で岩だらけと判明。
着陸は同年7月20日に延期されることとなりますが、
それは奇しくもアポロ11号の月面着陸からちょうど7年目だったのです。


 


二つの筒状のものはカメラ。
その間にあるのは生命探査装置群です。


 


先端に長く伸びているのは地表サンプル採取アーム。





当初の計画の90日間を大きく超えて、1982年まで活躍することに。





人類が月面に立ってから三十数年、地球に最も近い惑星、
火星に人類が足を踏み入れたことはまだ一度もありません。


 


フォン・ブラウンの夢
サターンX型&クローラー

ガノタでフォンブラウンと聞いてピンと来ない人はいないでしょうね。
グラナダと並ぶ月面の大都市の名前は彼から取られています。
一応シークレット扱いですが、実際は地球と月の方が手に入りにくかったようで。


 


発射直後のと比べると地味。





並べるとかっこいいですけどね。
単体では外れかも。





というわけで、王立科学博物館 第一展示場でした。
さすが海洋堂ということで、造形もなかなかのもの。
今なら投売りしているところもあるので、宇宙、
特に米ソの宇宙開発競争の頃が好きな方にはおすすめです。


〜楽天〜







TOP